【古事記】なぜ、ニニギノミコトは九州に降りたのか

古事記には、高天原(天上)から葦原中国(地上)へ、アマテラスオオミカミの孫であるニニギノミコトが降り立つ「天孫降臨」がありますが、天孫降臨をした地は九州の宮崎県になります。なぜ、日本の端っこに降りたのかを考察します。

1 天孫降臨とは

 葦原中国(地上)はスサノオノミコトの子孫であるオオクニヌシが治めていましたが、アマテラスは孫であるニニギノミコトを送り出し、オオクニヌシに対し、国を譲るよう求めます。ニニギノミコトが高天原(天上)から葦原中国(地上)へ降り立ったことを天孫降臨といいます。

2 なぜ九州なのか

 九州には巨大な政権があったと考えられています。中国の史書「魏志倭人伝」には倭の国には邪馬台国という大きな国があったと記されています。邪馬台国の場所は「魏志倭人伝」に示されているのですが、地図に落としてみると海上になります。そこで、距離が間違っていると仮定すると、邪馬台国は今の九州に位置することになるのです。※1

※1 方角が間違っていると仮定すると奈良県に位置することになります

 ニニギノミコトは九州にあった巨大な政権を表現しているのではないかと考えられます。

3 国譲り

 ニニギノミコトはオオクニヌシにたいし、国を譲るよう求めます。オオクニヌシは国を譲るかわりに大きな社を建てることを約束してもらいました。その社が出雲大社です。

4 古事記と史実のつながりについて

 中国の史書「魏志倭人伝」では邪馬台国と対立する存在として狗奴国という国があった※2と記されています。また、倭国大乱という記載もあり、当時の日本は国同士の争いをしていたことがわかります。

 その国同士の争いを先に述べた国譲りとして古事記において表現していると考えられます。古事記の国譲りや神武東征は、天津神の治める邪馬台国が国津神が治める狗奴国をはじめとする国々を征服していった実話を物語調にしたものであると考えることもできます。

※2 狗奴国の特徴である前方後方墳(前後が方形の古墳)は北九州から中国地方に分布していることから、北九州から  中国地方に狗奴国があったと考えられています。

5 卑弥呼はアマテラスオオミカミか

 先に述べたように邪馬台国の勢力を天津神、狗奴国の勢力を国津神で表現しているとすると、アマテラスオオミカミとスサノオノミコトの関係性が浮かび上がります。スサノオノミコトは草薙の剣をアマテラスオオミカミに献上しますが、これは、狗奴国から邪馬台国への献上品であると考えることもできますし、スサノオノミコトがおこなった悪事は狗奴国が邪馬台国におこなった悪事を物語に落とし込んだものかもしれません。

 邪馬台国の女王である卑弥呼はアマテラスオオミカミのモデルなのかもしれません。

2016年10月02日